今天我挑了一篇2018年海大359日语翻译基础这门课里比较难的一篇文章,给大家做一个例子去讲一下。这篇文章是《断崖的错觉》,太宰治写的。海大出的翻译题有一个特点,喜欢出文学翻译,尤其是太宰治作者所写的书。因为海大有一位老师是专门研究太宰治的,所以出的题比较偏向于太宰治的一些作品,前几年也比较喜欢出夏目漱石的一些书。今天以非常有代表性的《断崖的错觉》给大家讲一下,如果在考试中遇到前言不搭后语的、完全不了解背景的文章应该如何去处理。海大359/213专业18年之后的真题在研招网上都可以直接找到,建议大家多去看一下这些真题,都是非常有参考性的。可以看出海大比较倾向于考察哪一方面,看一下自己目前的水平与所要求的标准之间的差距,对自己有大致的推测。 “万事がうまく行った。私は、わざと出発をのばして、まちの様子をひそかにさぐった。雪が酒に酔って、海岸を散歩して、どこかの岩をふみすべったのだろう、と言うことにきまった。雪は海の深いところに落ちこんだらしく、さのみ怪我していなかったようだ。客を送って出たというがそれは雪の酔っぱらったときの癖で、誰をでも送って行くのだそうだ。そんな、だらしない癖が、いけなかったと、宿のものも言っていた。その客は、東京のひとだそうだ、となにげなさそうに言っていた。もはや、ぐずぐずして居られぬ。私は、ゆっくり落ちつきながら、尚いちにち泊って、それから東京へ帰った。 万事がうまく行ったのである。すべて断崖のおかげであった。断崖が高すぎたのである。もし、十丈の断崖だったら、或いは、こんなことにならなかったかも知れぬ。しかし、 私ときこりの見た雪は、ただぼんやりした着物の赤い色だけであった。一瞬にして、ふたつの物体が、それこそ霞をへだてて離れ去り得る、このなんでもない不思議が、きこりには解けなかったのであろう。 それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪に対する日ましに募るこの切ない思慕の念は、どうしたことであろう。私が十日ほど名を借りたかの新進作家は、いまや、ますます文運隆々と栄えて、おしもおされもせぬ大作家になっているのであるが、私は、──大作家になるにふさわしき、殺人という立派な経験をさえした私は、いまだにひとつの傑作も作り得ず、おのれの殺した少女に対するやるせない追憶にふけりつつ、あえぎあえぎその日を送っている。” 先大概看一下《断崖的错觉》,选自最后一两段,是作者杀害了一个孩子之后的一段自白。在开始讲这篇文章之前,给大家拓展一下这篇文章写作时的一个背景,在了解这篇文章的背景之后再去翻译这篇文章会更加方便一点。 (断崖的错觉》以太宰治第一次自杀事件为原型,体现了主人公“我”的不幸已经注定,无法改变的命运观。作为主人公“我”的回忆,事件从一开始就在一种强烈的命运意识下被书写。“我”为了反抗无法成为作家的命运,谎称自己是某个新进作家。但这种反抗是无用的,“我的命运在此刻已经成为定局”。由于作家的角色扮演,“我”逐渐沉浸于自己是作家的错觉,这种错觉本身是命运对“我”的嘲弄。小雪的出现作为推动“我”错觉发展的关键因素,看似是“我”反抗命运的产物,是“我”有意识的选择,但实际上这种选择反而践行了“我”的命运。小雪叫出新进作家的名字使“我”从作家的错觉中清醒过来,更使“我”认识到自身反抗命运的失败。出于极度的自尊心和虚荣心,“我”杀害了小雪。但命运给了“我”最后一击,虽然“我”有了杀人的体验,但是仍然无法写出作品,对命运的反抗反而成为对命运的彻底践行。 如果不太了解这段背景的话确实会有一些难度,不太好翻译。基本上太宰治所写的作品都比较阴暗,有抑郁的倾向。同时这篇文章出现了文学性比较强的一些词汇,平时生活中不太会接触到。 首先是“る”这个词,其实有三个意思,第一个意思是“探、摸”,比如说 ケットを探る;第二个意思是“刺探、试探”,比如说 敵情を探る;第三个意思是“览胜、观赏”,比如说晩秋の景色を探る。原文当中是第二个意思。下一个是“踏み滑る”,是一脚踏空、踩滑的意思。其次是“落ち込む”这个词,除了本意的落进、塌陷,比如说池に落ち込む;还有情绪低落的意思,比如“気持ちが落ち込”,这是它的引申义。接下来出现了一个“...に決まっている”,一定是、肯定是,表示语气强烈肯定的推测,比方说“んないたすちをするのはあいに決まっている”,表示说做出这样恶作剧的一定是那个人。 首先“さのみ”是“那般,并不那么(下接否定)”的意思,比如在“さのみ高いというほどでもない”中。“酔っ払う”是“喝醉、醉酒”的意思,比如在“よぱらって、前後不覚になる”中。其次是“だらしない”,他有“邋遢;吊儿郎当 ;不整洁”的意思,比如“なんてだらしないんだ”,第二个意思是“散漫;马虎;不检点”,比如在“彼はなにをするにもだらしない”中,第三个意思是“窝囊;不争气”,比如“このくらいのことでへこたれるなんてだらしない”,在这里是第三个意思。“何気ない”是“无意,无心”的意思。 “ぐずぐず”有三个意思,第一个意思是“慢吞吞地”,例句“あの人はいつもぐずぐずしているんだ”。.第二个意思是“嘀嘀咕咕的,嘟嘟囔囔的,唠唠叨叨的”,比如“ぐずぐず言うな。”第三个意思是“松松散散的,松松垮垮的”,比如在“豆腐がぐずぐずになる”中。下一个是“なお”,有“更加,愈发”的意思,例句“薬を飲んで、なお悪くなった”;还有“犹,尚,还,仍然,依然”的意思,例句为“今もなお夢中している”。“きこり(樵)”在这里是“樵夫,伐木人”的意思。 “ぼんやり”是副词,第一个意思是“发呆貌,马虎貌,不注意,心不在焉”,例子“ぼんやり(と)考え込む”还有“不清楚,模模糊糊”的意思,比如在“遠くの山がぼんやり見える”中。“解ける”是“解开,松开”的意思,比如在ひもがとけない中。还有“心情缓和”的意思,比如在“誤解が解ける”中,最后有“回答出疑问”的意思,在“解けない謎”中,在这里是第二个“心情缓和”的意思。 “募る”有“激化;越来越严重”的意思,比如:風が吹き募る。还有“招;招募;募集”的意思,比如:寄付を募る。“切ない”在这里是“难受的,苦闷的,(因悲伤而感到)憋得慌的,难过的”的意思,在“切ない思い”中也是这个意思。“名を借りる”在这里是“假借他人的名义;借口,找借口”的意思。 “文運隆々”在这是“文运昌盛”的意思。“おしもおされもしない”意思是“有实力,公认的”,在“その道ではおしもおされもしない存在”中也是这个意思。“未だに”是“至今,到现在也”的意思,有否定的意思,在“原因はいまだ究明されていない”中也是这个意思。 “己(おのれ)”是“自己”的意思,其次“喘ぎ喘ぎ”在这意思为“气喘吁吁”。“やるせない”有“不开心,无法释怀的”的意思,在“やるせない片思い”中也是这个意思。“耽る”有两个意思,一个是“耽于,沉湎,入迷,沉溺”的意思,比如“幻想に耽る”中也是。其次也有“埋头,专心致志”的意思,在“読書に耽る”中也是。 接下来根据词语意思来推测一下句子的意思。“万事がうまく行った。私は、わざと出発をのばして、まちの様子をひそかにさぐった。雪が酒に酔って、海岸を散歩して、どこかの岩をふみすべったのだろう、と言うことにきまった。”“雪が”在这是人的名字,用来补充主语,推测人们如何看待雪的死去。句子意思为“一切顺利。我故意拖延出发的时间,暗中打探小镇上的动静。雪喝醉了以后去海岸边散步,走到某个地方,从岩石上一脚蹬空……大家都是这么说。” “ 雪は海の深いところに落ちこんだらしく、さのみ怪我していなかったようだ。客を送って出たというがそれは雪の酔っぱらったときの癖で、誰をでも送って行くのだそうだ。”句子意思为“就好像,雪即使坠落深海也不会受伤似的。送客人回住处,据说是雪喝醉了以后的一个怪癖,不管是什么客人。”“送客人回住处”是我们自己在翻译时的加议,为了使句子完整。 “そんな、だらしない癖が、いけなかったと、宿のものも言っていた。その客は、東京のひとだそうだ、となにげなさそうに言っていた。”“いけなかったと”在这是“说不过去”的意思,句子意思为:“那么浪荡可不行。”旅馆的人有一搭没一搭地说着。“听说有个客人,从东京来的……” “もはや、ぐずぐずして居られぬ。私は、ゆっくり落ちつきながら、尚いちにち泊って、それから東京へ帰った。”“もはや”在文中等于すでに,“ぐずぐずして”是已经不能再磨蹭了的意思,句子翻译为“看来这里已经不便久留了。我不动声色地稳了稳神,又过了一夜,而后返回了东京。” “万事がうまく行ったのである。すべて断崖のおかげであった。断崖が高すぎたのである。もし、十丈の断崖だったら、或いは、こんなことにならなかったかも知れぬ。”译为“一切都很顺利。一切都须感谢那个断崖,感谢断崖非比一般的高度。假使它只有十丈高,或许,就不会发生这种事了。” “しかし、 私ときこりの見た雪は、ただぼんやりした着物の赤い色だけであった。一瞬にして、ふたつの物体が、それこそ霞をへだてて離れ去り得る、このなんでもない不思議が、きこりには解けなかったのであろう。”“なんでもない”单独翻译为“算不了什么大事”,但是在句子翻译里他翻译为“而那个瞬间剥离的身体”。“たつの物体が”在这里指的是身体和衣服,所以整个段落的意思翻译为“然而,樵夫和我看到的雪,只是一个隐约可见的红色衣物,而那个瞬间剥离的身体,穿过云雾远去了。其实也没有什么难理解的,只是那樵夫未能解开罢了。” “それから、五年経っている。しかし、私は無事である。しかし、ああ、法律はあざむき得ても、私の心は無事でないのだ。雪に対する日ましに募るこの切ない思慕の念は、どうしたことであろう。”这段话中有两个“無事”,第一个是没有受到法律的制裁的意思,第二个则为内心的平静的意思。“日ましに”在这是日益的意思,“どうしたことであろう”表示“到底怎么回事,到底怎么办”。所以整段话的意思主要翻译为“那之后又过了五年。我仍然平安无事。然而,我骗得过法律,却不能使自己的内心安然。我对雪的赎罪之心与思念之情与日俱增,切割不断,让我不知如何是好。” 下一段为“私が十日ほど名を借りたかの新進作家は、いまや、ますます文運隆々と栄えて、おしもおされもせぬ大作家になっているのであるが”,“ほど”在这表示时间的跨度,翻译为“那位被我冒名顶替了十天之久的新锐作家,如今文运亨通,越来越红,会成为一个无可争议的大作家。” 最后一段话“私は、──大作家になるにふさわしき、殺人という立派な経験をさえした私は、いまだにひとつの傑作も作り得ず、おのれの殺した少女に対するやるせない追憶にふけりつつ、あえぎあえぎその日を送っている。”“やるせない追憶”表示无法释怀的意思,“あえぎあえぎそ”则表示十分的痛苦、内心的挣扎。整段话的意思为“而我认为要想当大作家就必须杀过人,可即便真的杀了人,至今我也什么都写不出,只能带着杀害一个女孩的痛楚回忆,一天天地老去。” 要注意不要带入本意去翻译,尤其是文学翻译大家一定要切忌思维定势和思维僵化。在文学翻译中没有一个词是有固定意思的,只能说偏向于某个意思。可以自己发挥一下想象力,把它改造成适合语境的意思,搭配的词汇一定不要用错了,这种小错误在考试中一个扣一分。
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